「春木で呉座います。」本日20時より配信です

お世話になっております。本日20時よりYouTubeチャンネル「春木で呉座います。」にて、「【呉座勇一の日本史講義】呉座勇一『動乱の日本戦国史』刊行記念:「小山評定」論争を考える」を配信いたします。

 

慶長五年(1600)、徳川家康上杉景勝を討伐するため、
諸将を率いて東国に下ります。
しかし家康が上方を離れた隙をついて、
石田三成らが挙兵、打倒家康の檄を飛ばします。

会津へ向かう途上で三成らの挙兵を知った家康は、
七月二十五日に下野小山で諸将を集め、
上杉攻めの中止と軍の反転西上を諮りました。

家康の提案に対し、
豊臣恩顧の武将である福島正則が、
真っ先に家康支持・石田三成打倒を表明し、
さらに遠州掛川城主の山内一豊が城を家康に進呈すると切り出し、
諸将も後に続きました。

この小山評定によって、
家康は豊臣恩顧の諸将の支持を獲得することに成功した、
と古くから考えられており、
小山評定関ヶ原勝利の前提となった歴史的会議
として重視されてきました。

ところが、近年、歴史学者の白峰旬氏が、
小山評定は後世に創作された虚構であるとの説を提起しました。
この小山評定架空説に対しては、
小山評定は実在の会議であるとの反論が寄せられ、
学界で激しい論争が繰り広げられています。

果たして小山評定はあったのか、なかったのか?
複雑難解で、一般の歴史ファンには分かりにくい
論争のポイントを、本番組で徹底解説いたします。

今週刊行された拙著『動乱の日本戦国史』では、
泣く泣く割愛した小山評定論争について、
みなさんと楽しく語り合いと思っております。
下記のリンクよりぜひご一緒ください。

 

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